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外からの干渉を「受け取りつづける」と、判断が「人から見たらどう思われるか」が基準になってしまいます。
「自分がいいと思ったからやる」のではなく
「人からいいと思われるからやる」となってしまう。
そこには「動機(なにゆえ)」がまったく違うけれども同じ行動があります。
動機の違いは大きな違い。
同じ行動でも、インパクトが全然違うのはここ。
「自分軸」があるだのないだのは、ここに極まれり~!
では何ゆえに「他者の意向」や「他者からの評価」を無意識に受け取って自分では判断できなくなってしまうのか
 
・・・答えは小さい頃からの環境(教育)にあると私は思います。

(リンク先より)
「それ触ったら手が汚れるよ」とか、
「走ったらこけるよ」などと干渉されてきたことで、
本来なら子ども本人が体験して、「ああ、これ触ったら、こんなに手が汚れるんだ」とか、「ああ、走ったら、こけるんだ」と、からだで知り、
じゃあ、その次、
汚れるのイヤだから触らないようにしよう、とか、
これぐらい汚れてても平気、とか、
どうやったら汚れないのかな、など、
自らを知る こと、自らが感じる こと、自らで考える こと、そして 実行にうつす こと、これらの 学びを、先回りして教えられてきたことで、奪われてきた。
インプットされるのは、言うこときかなかったら怒られる です。
失敗したら怒られる です。

https://www.facebook.com/yo.akiko/posts/520071198361405?pnref=story